主に作業療法、時折音楽のことを、酒を飲みながら書いていきます。


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 私が働いている地域リハ会議で、「新しい総合事業」について取り上げてくれるようなので、予習をしていこうと思います。

 正直、地域包括ケアシステム自体あまり理解していないですし、ましてや、「新しい総合事業」なんて何を総合しているのかもわかりません(爆

 


 総合事業というのは「介護予防・日常生活支援総合事業」の略のようです。

 何が「新しい」かというと、今までは総合事業は必ずやらなくてもいいものであったのが平成29年には市町村単位で必ず移行するようにということ、が今までとちがって「新しい」取り組みであるという話を聞いたことがあるんですが間違いないでしょうか?ソースがわかりません…。



「総合事業は、市町村が中心となって、地域の実情に応じて、住民等の多様な主体が参画し、多様なサービスを充実するこ
とで、地域の支え合い体制づくりを推進し、要支援者等に対する効果的かつ効率的な支援等を可能とすることを目指すもの。」




 介護保険下でやるんじゃなくて自助・互助で何とか頑張れという風に行っているんですかね?うーん結構つらいところはありますよね。国に頼らず、国民同士、地域で支えあってくださいということですね。




 流れは以下のようです。
 

サービス利用までの流れ 総合事業


対象者は今までの特定高齢者でしょうか? (65歳以上の高齢者で現在は自立して暮らしているが、要支援・要介護になる可能性のある人)基本チェックリストを使って、対象者を決めるというような流れになるようです 。

 下の図は、よくでてくる、自助・互助・共助・公助の図です。

 





自助互助




 私は、共助が今は頑張りすぎている、というのはなんとなく感じています。自助・互助は弱いですよね。


 しかしこの事業で面白いのは、住民だけでなく、民間企業の有料などのサービスも使って、介護保険以外の多様な地域機能を作るということを言っていますので、地域にあった、必要なサービスを作れば、起業のチャンスも今まで以上にあるかも?!なんてこともおもいます。私はセンスないんで無理でしょうが(笑)





 この事業において国は大きな枠組みとして次の図のようなものを考えているようです。


総合事業の構成




大きく分けて「介護予防・生活支援サービス事業」と「一般介護予防事業」とに分けられます。






 「介護予防・生活支援サービス事業」は現行の介護予防訪問・通所介護に相当するものと、それ以外の多様なサービスを想定しています。通所と訪問ともに、A型は、既存のサービスを緩和したもの、B型は有償・無償のボランティアなどの住民事業、C型は保険・医療の専門職により提供されるもので短期間である、ということを定義しています。

 おお…ボランティアまで出てくるんですね。なんかすごいことになってますね(笑)



 「一般介護予防事業」には5種類あります。私たちがかかわりそうな物を記します。介護予防活動の普及啓発をする「介護予防普及啓発事業」。住民主体の介護予防の取り組みを強化する「地域介護予防活動支援事業」。通所、訪問、地域ケア会議、サービス担当者会議、住民主体の通いの場へのリハ専門職等の関与を促進する「地域リハビリテーション活動支援事業」などです。

 この事業によって、地域のOTが集団の中で活躍したり、講師となって地域に出ることが多くなるのではないかと期待しています。













 このような枠組みの中でOTはどのように働けるのでしょうか?会議に出席して考えたいと思います。ちなみに、協会としては、「新しい総合事業」でも、生活行為を重視して、MTDLPをアピールしてOTを説明してほしいようです。


 ちなみに、地域の取り組みに無関心なリハ職が多いようですが、なんか地域リハにに関わっていて楽しいのかなーと思っています(笑)
 私的にはみんなで何か新しいことしてみようよ、みたいな空気は好きです。























 あと、こういうりは会議にでて、話題に上がるのが「金にならない取り組みはしない」という意見なんですが、そんな悠長なことをいってられるほど、リハ職は立場は高くないような気がするんですが…。まあ、会社としては当たり前のことだとは思うんですけどね。

 リハ職なんて認知度も低いです。市町村がやっている地域包括ケアシステムの説明の際にPT・OT・STはおろか、リハビリ職の文字すら出てこないこともあるようです。(実話)

 変なプライドは捨てて、とりあえず知ってもらいましょうよ。そうしないと、地域で働く場所がなくなります。

 私もボランティアで講師をさせていただいたことがあります。住民主体で何かしろっていう前に、私たちも、何かしないといけないですよねー。







 ではまた!







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 結局土日はだらけてしまうんですね…。人間は怠惰なものですから、そう簡単にはうごかないですよねー。

 それは、誰だって同じですよね。

 今日は24時間テレビがありましたねー。なんとなく毎回マラソンのゴールは見ています。

 24時間テレビは毎回、「障害者を感動に使うな」みたいなつぶやきをしてる人が結構いますね。







 私の立場として、感動を私たちが一方的に求めてるのならおかしいかもしれないですが、当事者自身が、やりたいと思っているならそこまで不快とかそんな感じはないと思うんですけどね…。勇気をもらえる人もいると思いますし。

 それは、なんとなく、私たちがオリンピックを見て勇気をもらう、くらいな感覚なんじゃないかなとか思っていました。当事者じゃないのでわからないですが。








 
 身体的、精神的な、障害を持っている人に対して潜在的に「弱いもの」という見方でがあるのでしょうか?自分にあるものが人にはない、ということで優越感に浸る人は多いと思います。あるいは、自分にないものが人にはある、という劣等感を持つ人もいます。障害あるなしに関わらずですね。

 この辺はアドラー心理学的には、自ら幸せになろうとしてないからだみたいな厳しい言葉が飛んできそうです(笑)








 
 最近は変わりつつありますが、現にリハビリ・医療のあり方は、いわゆる「異常」を「正常」に近づける、という感じですよね。

 異常から正常に「変えてあげる」のが、医療で働くものの理想、というようなスタンスがまだまだ根強いんじゃないでしょうか。

 だから「治して」っていわれますよね。主体性はないですね。




 


 パターナリズムから、患者主体のインフォームドコンセントやCL中心、NBMなどなど、方向転換してきていますね。

 いい流れ、なんでしょうか?

 勘違いしちゃいけないのは、患者主体の医療というのは、患者にとって自分で責任を持たなければいけないということなので、結構大変なことな気がします。

 治してくれ、が通用しなくなるんじゃないかとも思います。色々説明はするし、提供もします。でも最終的に責任はお互いにある。








 
 最近は患者さん、じゃなくて患者様、利用者さんじゃなくて利用者様、そういう風にいうことが多いですね。

 私たちは、いったいどんな立場で、どんな関係性をクライアントと築けばいいんでしょうか?










 介護保険は民間の参入によって、競争をさせて、発展をさせたいという国の思惑があったような気がします。とてもサービス職が強いような気がします。

 私は病院をやめたときは、患者さんにエラそうにしてたりするスタッフなどに結構疑問を持つことが多かったです。

 訪問に来てからは、あまりのサービス職の強さに疑問を覚えるときもあります。

 結構「様」づけで呼んでいる施設とか、事業所もありますよね。

 …まあそれはそれでいいとは思うんですが、なんかちょっと違和感があります。










 私たちセラピストの技術は、サービスや接客みたいなところは、あくまで、予備知識であって、核になる部分ではないですよね。

 まあ、最低限のマナーを守れないセラピストが多いから、というのもあると思いますが…。 

 公的な費用を使っているというもとにセラピストも会社もそして何より、クライアントも意識していかないといけない部分は多いと思います。 









 北欧では、税金が高いぶん、公的な費用を使っているという認識が高いというような話を聞いたことがあります。

 必要なものを必要なだけ。

 必要なものを必要なだけ、をモットーにあげてた人を見たことがあります。依頼が来たらとにかく提供するという、なんか言葉のはき違えのようなことをしていました。

 本当に必要?









 福祉用具が自費負担になるなんて噂も出てますね。それは、やっぱり、必要な人に必要なだけ、が上手くいかなくなる。

 そこは、大事だと思います。






 
 ちなみに、私は、長期利用は、必要な人には、必要なことだと思っています。

 やはり、身体機能が落ちていく方の生活の役にたてることもありますし、長期利用でしか見えないこともあります。

 特に精神疾患の方は、長期利用でなじみのスタッフがいるというのも大事だと思っています。

 
 


 「お客様」としてではなく「パートナー」として

 しっかりリハビリの技術を提供させていただけるように、日々鍛錬させていただきます。










 ツイートしたことから色々考えをめぐらせどこかに吐き出したかったので、ブログに書かせていただきました。まとまりはまったくありません。どこに落としどころをつけていいのかも良くわかりません。

 吐き出すためだけに書きました。後から恥ずかしくなるやつかもしれません笑。





















 ではまた!





 NHKで臨床宗教師なるものが取り上げられていた。

 「臨床宗教師」とは、公共空間で心のケアを行なうことができる宗教者を意味するものとして、英語の「チャプレンchaplain」の訳語として故岡部健(たけし)医師が考案した名称です。布教や伝道を行うのではなく、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦難や悲嘆を抱える方々に寄り添います。仏教、キリスト教、神道など、さまざまな信仰を持つ宗教者が協力しています。

 とのこと。

 末期のがん患者に対する、スピリチュアルペインを軽減するというような、内容でした。






 そういえば、思い出した、大学一年生のころに超大御所の先生に褒めていただいた、レポートがあった。

 私は、一年生の頃はまともに勉強していたような気がするが、二年生になるころには、悪い連中とつるむようになり、ダークサイドに落ちて勉強をまったくしなかった。ほめられた経験がほとんどないので、よく覚えている。

 キューブラーロス、「死ぬ瞬間」を読んで障害受容に考えるといったような内容だったような気がする。

 





 死の受容の段階として



 「否認」→「怒り」→「取り引き」→「抑うつ」→「受容」



 の五段階をキューブラー・ロスはあげている。

 「否認」では、死ぬという事実を認められず、「怒り」ではなんで私が死ななきゃいけないのだいう感情が起こる。「取り引き」では、神にお祈りするから何とか長く生きさせてほしい、これまでの過ちを反省するから、少しだけ長くいきたいなど、何かと取り引きをして、長くいきたいという気持ちになる。「抑うつ」ではやはり仕方ない、神に頼んでももう、長くは生きられない、と落ち込んだ気分になり、最終的に死を「受容」する。といったような流れである。

 

 これを読んだ当時は、病院の中に教会があったりする、外国との文化との違いに、「日本人が読んで役に立つのか?」とも思ったし、「無宗教な日本人はどうするんだろう?」なって思っていた。

 宗教は「取り引き」と「受容」の段階において、とても重要な役割をするように思っています。神にもすがってみたりもできますし、死後のために祈ることもできます。実際この本の中にはかなり宗教について触れられることが多かったように思います。(ずいぶん昔に読んだので嘘だったらすみません。

 実際、訪問に出て、末期がんの利用者さんに入ることもありますが、なんとなく、「怒り」や「抑うつ」の状態のままなくなる方が多いのは、ひょっとしたら宗教なんかも関係しているんじゃないかなーなんて思ったこともあります。



 で、今日のNHKで臨床宗教師なるものが末期がんのケアで、取り上げられていたので、なんとなく、腑に落ちたといいますか。うん。

 名前だけ聞くと、信仰することを奨めたりするんじゃないかと思ったんですが、各々の死生観や、価値観をしっかり解釈したうえで個別ケアをしていくといったような内容でした。

 宗教というのは、その方の死生観を作ったり、価値観を作るものでもあると思います。信仰をしていなくても、死生観や価値観はあると思うので、抽象的になっている部分を、話したりすることによって、具体的に引き出したりすることが、末期の利用者さんへのケアになるかなと思いました。

 無宗教の日本で、死の瞬間の内容を活かしやすくなるんじゃないかと思える内容でした。





 そして、昔書いたレポートをそのまま張ります(笑)。今見ればなんかよくわからないこと書いてたような気もしますが、私自身も、ブログに張っておいて、暇なとき見直せたらいいかなと思ったので。

















 Ⅰ、はじめに
 私は、推薦されている本の一つ、「五体不満足」を読んだことがあったので、もう片方の推薦図書である、キューブラーロス著の「死ぬ瞬間」を読むことにした。そして「死の受容」とはなにかということと、「障害の受容」との違いを考察し、最後に感想を述べたいと思う。

Ⅱ、「死の受容」について
「死ぬ瞬間」では末期患者にインタビューをするという形をとってどのような課程によって人々は死を受け入れるのかを見ていく。まずは、このインタビューを通して、作者が発見したパターンについて述べようと思う。
まず、死に関わる病気にかかったとき、患者は「自分がかかるわけがない」と思い、病気にかかったこと自体を否定する。これを「否認」という。そして、病気を受け入れたときに、その次の過程として「怒り」がくる。これは、「なぜ、自分でなければいけなかったのか?」という考えからくるものである。そしてまわりの自分以外の人を羨み、不満をつのらせるのである。それと同時に病気を受け入れた患者は、「新薬ができて、もしかしたら助かるかもしれない」といった、「希望」を持つ。希望は死ぬ直前まで持ち続ける。だんだんと「怒り」が静まってきたとき、または、「怒り」同時に、とても短い期間であるが、神などにたいして、約束を結び、「取り引き」をし、この悲しいが逃げられない事実からどうにかして逃げることが出来ないかと考える。しかし、徐々に自分は助かることはできないとわかってくる。すると次の「抑鬱」にはいる。この状態は「自分の過去からの喪失」「さしせまった(これからおこる)喪失」について思い悩むことで起きる。そして全てを乗り越えると自分の死と静かに見詰めあうことのできる「受容」にたどりつく。これが、作者が見つけだしたパターンである。まとめてみると、「否認」→「怒り」→「取り引き」→「抑うつ」→「受容」という流れである。
しかし、これはあくまでだいたいのパターンであり患者の、人生、家族、性格、宗教、病院の対応、などによっても変わる。患者が受容できても、家族が患者の死を受容できない、といったことや、病院内の対応が悪く受容できないといったこともあるようだ。患者の死の受容には患者のまわりの人々も一緒に死について考えるということが大事である。先に述べた患者がとる行動にたいして家族、病院スタッフが暖かい対応をすることも大事だ。
死を受容するということは末期患者にとって一番大きな壁であり、とても難しいことである。実際に最後まで受容することができない人も多いようだ。しかし、なにがあっても最後まで患者を一人にしないで皆で死を受け入れていこうという姿勢が大事だと思う。

Ⅲ、「死の受容」と「障害の受容」比較
 これは、自分なりの解釈で述べようと思う。今回は自分なりに考えた「障害の受容」について、先に述べた、「死の受容」と比べていきたいと思う。
 「死の受容」は自分の死に対する価値観を変えていくという「死」だけに対したもののような感じがするが、「障害の受容」というのはもっと広く「世の中」に対しての価値観をかえていくことのように感じる。死と障害では、未来があるかないかとういう大きな違いがある。そこの違いがもっとも大きな違いだと思う。この違いによって「障害」について考えるだけでなく「世の中」に対して広く考えていく必要があるのでないかと考えた。やはり自分の体が少し変わることで、いままで過ごしてきた世界と少しは変化があり、この今までの世界の価値観を変えることが受容でないかと考えた。
 私は、最終的な価値観の違いにまずは注目してみたが、「障害」「死」とも人生の危機と考えたとき「障害の受容」も「死の受容」似たような過程があるのではないかと思い、障害を持った方が、どのように受容したのかをつづったものをいくつか調べてみた。すると、「否認」や「怒り」、「抑鬱」など、死の受容でてきたパターンがあった。しかし私が気になったのは、「抑鬱」と「受容」の前に自分たちが、これから生活するにあったって、どのように困難をのり越えるかということを解決する、「努力」があるように感じる、そしてこれからの生活の不安がとりのぞけたときに、初めて受容できるのでないかと感じた。これはやはり未来があるかないかということも関係してくる大きな違いだろう。
 ただ、やはり両方共に言えることは周りの人々の対応によって、受容できるかできないかに大きく影響するところである。本人だけの問題と考えないで、まわりの人と一丸となって「死」や「障害」に立ち向かう姿勢が大事だと思う。

Ⅳ、感想
 今回は死を受容する過程というとても難しいことを取り上げた。私は最初、レポートの題名である、「患者・障害について理解する」ということと、「死の受容」ということは少し離れているのではないかと考えていた。しかし「死ぬ瞬間」を読み終えるとそんな考えはすっかり無くなっていた。死を受容する「過程」は私が今回、この本を読んで得た一番大きなものだと思う。この過程を知ることが大事だと思ったのは、「怒り」「否認」などを知らなかった場合、私たちはただ患者のわがままなのではないか、精神病なのではということを思ってしまうといったことや、「抑鬱」の患者にはあまり話さない方が良いなどの誤解もうまれてしまう。このように患者のことをよりよく理解してあげるためには、その患者に関わる人全てが、死の受容の過程について知らないと、患者との擦れ違いが生じてしまうと思った。
 この「死ぬ瞬間」という本では、たくさんのインタビューが載っていて、とても「死」について考えさせられた。私はこれを機にとても死について考えることができてよかったと思う。キューブラーロスも述べているように、私たちはいつ現れるかわからない「死」という恐怖にそなえ、「死」とはなにかを考えたほうがいいと思った。これによって、もし末期患者と関わることになっても心の準備ができとてもコミュニケーションが取りやすくなると思う。また「障害」についても日頃考えると良いと思う。

Ⅴ、文献
○著:E・キューブラーロス 訳:川口 正吉 [死ぬ瞬間~死にゆく人々との対話~] 1997 読売新聞社






 


 大学一年生の頃の私に負けないよう、日々色々考えたいとおもいます。


 

 ではまた!





死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)





 昨日はとても、ダメな日でした。作業療法評価についてもやもやした気持ちになりました。私は臨床に出て思っていることを少しでも伝えたいと思って気合いを入れて、学生に会いに行ったのですが、検査をもくもくとしなければいけない雰囲気にやられました。そして、先生からも、予定になかった基本動作の分析をやってほしいといきなり言われ、パニック状態。協力してくださった片麻痺を持った利用者さんも疲労でグロッキー。私もグロッキー。普段は、電車も全然問題なく乗れる利用者さんが、段差で転びそうになり、私は目が疲れ、少し目を強くつぶっていたので、反応が遅れヒヤリ。

 こうやって、緊張したりする場面でいつもすぐ疲れるし、落ち着きなくなってしまう。うーん。

 今思い返してもストレスフル。






 さあ、世の中は、かなりのストレスで満たされています。世の中は作業機能障害まみれ(笑)

 ツイッターなどでは、患者さんのため!クライアントのため!と日々奮闘している方がたくさんいらしてすごいなーと思います。

 私が作業療法を学ぶのは…自分のためです(爆)



 それは、お金を稼ぐとか、そういった類の回答かと思われるかと思いますが、私の場合は自分の生活のヒントになることがたくさんあるからです。

 もともと、私は、夜型の生活になりがちだったり、少しのストレスで動けなくなる、人の視線が気になって頭が真っ白になる、など生活に対して色々な問題を持っています。そういう状態に対して、私自身が、抜け出したいという思いがあるからです。

 うん、ネガティブ(笑)。でも、前向きな人ばっかりじゃなくて、ひねくれてる人もところどころスパイスでいるといいと思っています。




☆認知行動療法とは?☆

 簡単に言うと心を辛くするような考え方、物の見方(認知)をかえる療法です。

認知行動療法

そもそも、ストレスをためやすい人にはそういう、考え方の癖があります。


 「いつも、仕事を失敗してばっかり…。」
 「あれ、もしかして、あの失敗がみんなに広がってるかも…。」

 事実のとらえ方のゆがみや、妄想などでこのような思考になってしまいます。

 本当にいつもなのか?本当に失敗がみんなに広がっているのか?

 このように、自然と頭に浮かぶような考えを自動思考といいます。



 そして、自動思考のもとになっているのは、その人の基本的な人生観や価値観、信念ともいえるスキーマです。

 「自分は人に愛される価値のない人間だ」

 などといった感じでしょうか。このスキーマが自動思考を左右します。

スキーマ 自動思考

この自動思考や、スキーマを変化させていくことで、落ち込みや、不安を軽減させていきます。




☆介入方法☆

 一対一での面接や、集団で行う方法、自己学習などがあるようです。

 日頃の問題に対して、実際に解決できそうなもの、そうでないものに分け、優先順などをつけ、話合っていきます。

 …ってCOPMやないか、とか思いましたが…(笑)

 そして、


 どのような状況の時に、

 どのような気分になって、

 どのような考えが浮かんだか?(自動思考)

 そのように考えた根拠・事実は何か?

 その根拠・事実が違うことはないか?

 適応的思考はどんな思考か?しなやかに考えると?

 考えてみて気分は変わったか?


 といった感じで話あったり、自分で振り返ってみたりします。(すみません、かなり省いてますが許してください)


 そして、学習していくと自動思考やスキーマが変化していく。といった感じみたいです。



☆作業療法やリハビリへの応用は?☆

 最近は認知作業療法なるものも出てきていますが、認知行動療法の応用みたいな感じだと思っています。

 障害を持つ前の自動思考やスキーマを持っていると生活を今の状態に合わせて適応させていくということが難しくなっていきます。

 認知行動療法は、思考やスキーマを作業などを通して変容させていく手がかりになるかもしれません。

















…振り返ってみると、昨日は学生さんとも色々な話をすることができましたし、自分にとっても検査などを振り返る機会になっていたと思います。しかも、昨日は色んな方にブログを見ていただけて本当にありがたいです。

 うん、雑だけど、こんな感じに思考が変わるんだと思います(笑)
 







 ではまた!





患者力を引き出す作業療法―認知行動療法の応用による身体領域作業療法


 台風で、大変な訪問となりました。雨にも負けず、風にもまけず…。体が冷えると、トイレが近くなるのでかなりつらいところではあります。

 さて、今日は最近はやりのアドラー心理学と、リハ、OTの関連について思ったことについて少しメモ程度に書いておこうかと思います。

 私自身、は最近はやりの「嫌われる勇気」なども読みましたが、アドラー心理学自体について知ったのは、作業療法の講習会だったような気がします。(いつ知ったか忘れてしまった…最近はすぐに忘れますね。)

 アドラーはクライアント中心に対しての見解を広げてくれると私自身は感じています。クライアント中心というのは、とても響きはいいですが、クライアントにとってはつらいものだと感じるときがあります。

 今日はアドラー心理学の大きな考えと、私の意見を少し混ぜながらメモ的に残したいとおもいます。



☆自己決定性☆

 アドラー心理学は、自分が主人公です。環境、過去に意味づけをするのは全部自分なのです。自分を悲劇のヒロインにしたければ、過去を悪くとらえますし、環境のせいにします。いうなれば、悲劇のヒロインになるために、そのように考えている。わけですね。すべては自分で決めていること。悲劇のヒロインになることも、自分が決めている、ということですね。

 リハビリ、OT場面でも、よくあると思います。障害をポジティブにとらえてる人もいれば、ネガティブにとらえる人もいる。というのはこの自己決定性にヒントが隠れているような気がします。
 良くクライアントに寄り添うようにといいますが、やはり自らの運命を決めるのはクライアントであり、私たちには介入できない領域があると思います。

 おかれた環境をどうとらえ、どのように対応するのかは自分自身ということです。



☆目的論☆

 フロイトの原因論と対比されるのが、この目的論です。フロイトの場合は、トラウマに代表されるように、今起きている問題の過去を探っていきます。「好きな人の前だと赤面してしまうから告白できない」

 しかしアドラーのいう目的論は、人間の行動には目的が伴って行動をする、という未来志向の考え方です。「好きな人に振られるのから赤面する」

 この例えは確か、嫌われる勇気にのっていましたが、結局は好きな人から告白されて、赤面症が治ったという話でした。

 つまり、過去を見てるとできない理由はたくさん見つかるけど、勇気をもって未来をみれば、赤面症も治るよ、みたいなことでしょうか。

 かなり、厳しいですが、そういう励まし方もリハビリなどではしていけたらいいなーと思います。勇気を出せるような励ましかたでしょうか。励ますはCMOPでも、MOHOでも共通の治療戦略ですから、このあたりにも使えそうなヒントがありそうです。



☆全体論☆

 人は心の中が矛盾対立するのではなく、分割不能な存在である。というのが全体論です。まさしくMOHO(笑)たぶん哲学の影響を受けているんでしょうか?デカルトの心身一元論に代表されるような感じの考えですね。

 何かと、心と体、意識と無意識、分けられるものは分ける、それが、いわゆる還元主義ですがそうではないよねということですね。まさしく今の作業療法の行くべき道と一致していると思います。

 ちょっと厳しいですが「家に帰りたいが、仕事をしなければいけない」というのは一見矛盾しているように見えますが、実は残業をやめようと思えば辞められるし、やめたくあに、やめようとしない、心理が奥底にはあるのだということです。

 うーん、今はブラック企業もあるので何ともいえないですが…。矛盾が生まれると、心を病んだりしてしまうのかもしれないですね。



☆認知論☆

 これは、自分の主観の中でしか生きられないという、これは哲学者のヒュームあたりが最初に唱えたものでしょうか?同じものを見ているはずなのにAさんとBさんでは全然違うとらえ方のことがあるということですね。「太ってるなー」と「ぽっちゃりでかわいい」みたいな差でしょうか(笑)

 アドラー心理学では、ある人のことを知ろうとするときには、その人がどのように出来事を受け止めているかを重視します。

 これは、MOHOの評価法なんかはこのあたりに入ると思っています。その方の主観をなるべく知ろう、という取組みのヒントがあると思います。


 結局は人と人は完全には分かち合えないので、私たちが幸せになるには誰かに何かをしてあげたという「貢献感」が大事だともいっていますね。私はリハビリのときとかもこの考えがあるととても気が楽になります。「クライアントが私の介入を最終的にはどうとらえるかはわからないこともあるけども、私は一所懸命やろう。どうとらえるかはクライアントのみぞ知る。(クライアントの課題)」といった感じです。



☆対人関係論☆

 アドラーが一番大事にしているところでしょうか?すべての問題は「対人関係」が引き起こす、と考えます。全ての行動には相手役がいるのです。

 アドラー心理学で相手役なしには行動は起きないといっています。極端ですが、「宇宙に自分ひとりだったら、問題は起きないであろう」ということでしょうか。

 そのため共同体感覚をを大事にすることが大事であるといいます。自分がグループの一員で合って、貢献したいという気持ちを大事にしなさいということです。

 そのため、縦の関係でなく横の関係を大事にするひつようがあります。怒ったり、叱る教育は最近は否定されつつありますが、アドラー心理学はほめることも良いとはしません。上下関係ができてしまうからです。そのため、感謝の言葉を大事にするように言っています。

 ここは、私もリハビリで思うことがありました。セラピストより年上の人を怒るのは言語道断として、ほめることにもなんとなく違和感があったからです。アドラー心理学ではほめることも人を支配しようとしているという考え方をします。結局は自分で考えて生活していかなければいけません。ほめられることをやる、というルーティンになると、その方の生活の「自立」から遠のいてしまうのではないかと思いました。






 ちょっと厳しい感じのことも書いてしまいましたが私なりに考えたことを素直にかきました。ではまた!



嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え



幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII


 久しぶりに勉強会に行ってきました。6月の後半ぶりです。基本的に少なくとも一か月に一回はどこかしら勉強会には行っているので、結構間が空きました。

 今日は事例や研究について、がメインだったのでしょうか?そんな感じの勉強会に行ってきました。



 以前「AMPSは研究向きだよねー」という話をお偉い方からされ、しかも、対費用効果がーみたいな話をされて腹がたった話は書きましたが、自分の中では最近、研究論文を読んだりすることと、臨床はつながっている気がします。

 結局はものは使いようということで、教科書であろうと、研究論文であろうと、手技であろうと、それだけでどうにかなるものはないですよねー。

 自分でしっかり考えて、クライアントの困りごととリンクさせたりして、ようやくものになるといいますか…。




 以前職場の先輩から、「機関誌の作業療法ってよんでも使えないよね」みたいな話をされて答えるのに困って、適当に流した記憶があります。

 使えるものにするか使えないものにするかは結局は自分次第ですよね。

 臨床の中で、日々疑問に思うことや、上手くいかないことが多い人のほうが、論文とか読んだりすると目からうろこのことが多いような気がします。




 私は、機関誌にのっていたOBP2.0の実践や、CVAに対するCL中心の効果などを読んで、

 新しい枠組みを使ってみよう!って挑戦的になったりとか、

 CL中心は効果があるから、さらに頑張っていこう!と背中を押されてみたり



 とても気持ちを動かされます。



 いずれは、自分も臨床をしつつ研究をして、誰かをそんな気持ちにさせられたらいいなーとたまに思います。






 皆さんはどんな気持ちで機関誌、読んでるでしょうか?











 ちょっと投げやりな感じもしますが。明日は台風みたいなのでこの辺で!ではまた!




 

 昨日は会社のちょっとした勉強会の後に、呑んでました。酒がおいしい。最後に食べた餃子が最高においしかったです。

 みんな、実技には興味あるんだけど、地域の事例検討とかは本当に興味がないんだよなー…。まあ、人それぞれだからいいんだけど、少しくらいは地域に興味持とうよ、と思ってしまう。

 帰り道音楽好きでフェスに良くいきます、っていう人と一緒になり、「クリープハイプの初回盤面白かったですね!」って話したら、「すみません、私レンタルで済ませちゃうんです」って帰ってきました。フェスのときに「クリープハイプがめっちゃよかった」とか、「あの曲よかったですよね!」とか言ってたじゃん!

 訪問に出てて地域に興味がない、バンドが好きだけど、売ってるCDに興味がない。みんな天邪鬼かよ!っていいたくなります。

 で、今回はクリープハイプのシングルの記事なんです!笑。

 ドラマの「そして誰もいなくなった」の主題歌の「鬼」です。

 ドラマはそんなに見ないんですが、クリープハイプが主題歌なので見てしまっています。

☆シングル「鬼」☆ 


 私は、いつも通り初回盤を購入しました。先日ブログに書いたindigo la End の初回盤のDVDは散々でしたが、さすがはクリープハイプ、期待を裏切りません。

 初回限定DVD「尾崎世界観脱退~そして、尾崎はいなくなる~」は尾崎脱退宣言から始まり、オーディション、2代目世界観への引き継ぎといった感じで進んでいきます。

 要所要所で、笑いどころろ満載で流石です。前回の「破花」のDVDドキュメンタリーは声がでないとか、切実な感じでしたが、今回は以前のDVD「くそバレー」を思い出すクオリティで、さすがに笑わせてくれます。

 肝心のCDのほうもそれぞれ、三曲とも種類が違う曲が多く、何度もリピートしてます。

 一曲目の「鬼」は今までなかった感じの、ファンクロック?調のテイストの曲です。今までのクリープハイプになかった感じの危機迫る感じです。そういえばギターの小川さんはもともとファンクロックのバンドをやっていたって聞いたことがあります。ギターのリフも面白いし、曲にすごくなじんでる。
 私はクリープハイプの曲はなんだかんだでポップ、という感じだと思っていたんですが、この曲は、結構暗めにロック、問いた感じです。尾崎世界観の「世間に復讐するような気持ちで書いた」というのもうなづけます。

 二曲目の「炭、酸々」のポップな感じはクリープハイプらしい、爽やかな感じの、ロックです。素敵。
 三曲目の「買い物」は、長谷川カオナシの得意なかわいらしい感じの曲になっています。

 シングルだけど飽きずに聴いていられます。



☆小説「祐介」☆

 で、今回のシングルと同じくらいに発売されたのが、尾崎世界観の小説、処女作「祐介」です。

 内容は、バンドマンを中心とした話で、尾崎世界観のバンドに対する思いのようなものもなんとなくわかる内容でした。

 基本的にはなんか内容は暗め(笑)最後もなんか、暗いまま終わりました。

 でも、読みやすい感じではあるので、さくっと読めてしまいます。私的にはこの本の内容が次のアルバムに影響してると思っているので、9月7日に発売される、クリープハイプのアルバム「世界観」もとても楽しみにしています。








 久しぶりに、音楽の話でした。明日は勉強会に行ってきます!勉強したことをまた書くことができればと思います。

 ではまた!




世界観(初回限定盤)(DVD付)



祐介


 なんか変態みたいなタイトルになってしまいました。

 訪問に出ていると学生さんと触れ合う機会が少ないです。今回は大学まで出向くというなかなか、できない経験をさせていただきます。

 被験者は、私の会社の系列の事業の利用者さんで、障害を持たれた方です。私が学生のときには直接、障害を持った方とお会いして、練習する機会はなかったので、いいことだと思います。

 私は、指導役で学生さんを見守りながら円滑に進むようにフォローしてくださいとのことですが…


 そんなスキルないですが(爆



 学生さんから、どんな評価をするか、まとめた資料が来ました。





 ROM、MMT、コース立方体、三宅、STEF、MMSE…。







 そうか、やはり、これが普通なのか。



 訪問にでて、なんとなく自分の世界に閉じこもっていたけど、まあやっぱりこれが普通ですよねー。



 あ、面接しないのね、とか色々考えてしまった。





 作業療法評価とは、なんなんだろうか。いまだにわからないときも多いです。





 しかし、私の頭の中は確実に変わりつつあるのだろう。とも思いました。

 この、評価項目は病院にいたころだったら、違和感はなかっただろう。






 今は、この評価項目を見て、「どうやって最終的にCLについてまとめるんだろう」とちょっと思ってしまった。





 でも自分が学生の頃だったら何にも考えてなかったなー。






 少しでも、何か爪痕を残してこれたらいいな、と思ってしまった。うん、でしゃばり(笑)








 最近は、こんなに細かく評価する機会もなかったので、自分の中でも、良い振り返りの機械になるといいなぁ。







 そして、若い力を吸収してきます(笑)




 ではまた。





 メンタルは落ち気味ですが、なんとか平常運転に持っていきたい。酒OTです。

 今日利用者さんに「オリンピックの開会式のチケットって一枚10万円もするらしいですよ」と言ったら、「お酒やめて4年貯金すれば全然たまるでしょ、家族を連れて行ってあげな」といわれた、正論過ぎて何も言えませんでした。

 東京オリンピックは、「そこまで元気で生きていたい!」というモチベーションになっている利用者さんが多いような気がします。オリンピックは普段スポーツに興味がなくても、「オリンピック」に興味が持てる、不思議なスポーツイベントなような気がします。




 さて、興味は大事です!普段、生活に目標がない人にも、目標を作るきっかけになるような気がします。

 生活行為向上マネジメントにも「興味関心チェックリスト」というものがありますが…なんというか、影が薄いかわいそうな存在になっているような気がします。OTジャーナルの増刊号にも、協会が出しているMTDLPの事例本ですらどう使うか書かれていないという…。いじめないで…。

 私は案外使いやすくて好きです。



☆MTDLPにおける「興味関心チェックリスト」☆

 

 どこで習ったか忘れたんですが、他しか聞き取りシートで目標が立てられないクライアントにたいして、予備的につかってください、みたいな感じだったような気がします。


MTDLP 興味関心

 
 使っても使わなくてもいいですよーということですね。


 私は、訪問ではたらいています。退院してすぐの方は目標をみつけやすいですが、生活が不活発で心身の状態が悪くなった方も多いです。そんな時はすごく助かると思います。



☆「興味関心チェックリスト」の使い方☆


 個人的には二つの点に気を付けています。




 一つ目は、つけて頂いている間にその方のナラティブに着目するということです。

 つけていく、一つ一つの作業にその方の、物語が垣間見えてきます。そうすると、チェックリストにない作業のことや、その方の生い立ち、隠れていたニーズをぽろっと話してくださるときがあります。

 ただ、単に流れ作業のようにつけてもらう人もいるようですが、それではあまり使い物にならないような気がします。

 

 二つ目は、実際にやっていただいて、様子を見てみるということです。

 チェックリストをつけていただいてもやはり、目標が立たない、やりたいことがない、という方も多いような気がします。そういう時は本人、家族の許可が得られれば、実際にやってもらっています。

 その時に確認しているのは、観察で本人の意志がどうなっているかを「VQ(意志質問紙)」で評価してみて、行っている作業にどれぐらい、その方の意志があるかを見てみます。意志質問紙は観察でどの程度その方が意志を持って作業をしているかがわかる優れものです。購入は作業行動学会のHPからできます。

 そして、少し進んで来たら、本人に感想を聴いてみたり、主観的な部分を聴いてみます。

 ちょっとMOHOの評価を出してしまったんですが、MTDLPもMOHOが使えるとより理解が深まると思います。


☆目標を生み出したり、習慣を変化させるということ☆



 目標が見つからない、というのは、現在の心身機能や、環境で作業的な経験が足りない、という側面が大きいのではないかと思います。


意志の連続性




 意志が低下していると、まずは「探索」の項目から、丁寧に見ていく必要があると思います。

 自分で、行為や課題を始めるか、新しい物事を試みるかなどの要素が挙げられます。

 まずは、試してみて、観察してみて、作業的経験をしていただくこと、が大事だと思います。















 まあ、訪問でこういうことをするのはなかなか、難し買ったりするんですけど…。私は機能訓練もして、ちょっとずつ作業を入れられそうな利用者さんには、なるべく取り入れるようにしています。

 うん、隠れキリシタンみたいな感じですね(笑)

 すこしずつでも、実践したいと思います。






 今回の記事は人間作業モデルの「意志」の部分についての話しが多かったような気がします。それはまた、機会があれば記事を書きたいと思います!ではまた!



 


事例で学ぶ生活行為向上マネジメント




生活行為向上リハビリテーション実践マニュアル



 昼間はかなりネガティブなツイートをしてしまいました。すみません。

 このブログを始めたのは愚痴を吐き出すという意味もありました。そもそも、訪問に出ている作業療法士が少ないうえに、愚痴を聴いてくれる、先輩、同僚なんてなおさらいません。しかも、それでいて、PTにたまに馬鹿にされるOTという構図。もう疲れました。ちょっとネガティブな記事になります。









 私が、なぜこんなにも作業にこだわり始めたか、といいますとやはりOTのアイデンティティにがないということでしょうか。


 正直に言ってPT・STはすごいです。アイデンティティもあります。心身機能をしっかり見れます。


 それにくらべて、OTはどうでしょう。





 OTは何をしていいかわからない。

 OTはなんでも屋だから何でもします。(一つ一つのクオリティは低いし、PTの真似事だけども)

 OTだけどここ何年か作業療法はしてないなー。(ベテランOTの言葉)。

 OTって勉強しようがないし、良くわからないけどPTさんが手技の練習してるから一緒にやってみよう。




 こんな感じばっかり。



 私はとても不器用です。

 広く見ようとしすぎたら、たぶん一生自分がやっていることに満足できないでしょう。

 回復期の頃は、心身機能ばっかり見て、訪問に来て、訪問は生活をみろ。しかも身体障害の方以外にも、精神疾患の方もいる。

 一つ一つ細かく疾患や障害を勉強していたら、一生勉強しても、間に合わないと思いました。医者じゃないし。


 

 そんな時に出会ったのが作業療法の理論でした。





 作業に焦点を当てれば、疾患などはあまり関係なくなるんじゃないか、そんな期待すら持ちました。

 
 MOHOの講習会や、AMPSの講習会など、作業系の、講習を受けるうちになんとなく、少し光がさしたような気がしました。


 見る分野は広いけれど、作業に焦点を当てれば、どんな分野でも共通項があるし人の役に立てるのではないかと思いました。









 ここまでは、いい話(笑)














 でも、世間は作業療法なんて何するか知らないし、リハビリっていったら運動をしてもらいたいんです。特に介護保険下では顕著でしょう。

 それなのに、いきなり、面談で、作業とかいっても、まあ、正直そうそうに切られたりすることも多いでしょう。

 初めて訪問したお家で「え、作業療法士なんですか?」みたに聴かれることも、年に2回くらいはあるでしょうか。で、作業療法士って運動できるんですか、とかまで聞かれちゃう。なんか俺悪いことしたかみたいな感じになる(笑)

 隠れキリシタンならぬ、隠れ作業療法士。みたいな。






 

 






 職場でAMPSは研究者向けでしょみたいなことをOTの少しえらい人に言われた。うちの会社は結構講習費だしてくれるのにESI行きたいっていったら「対費用効果考えて」みたいなこと言われて却下されかけている。

 それを同僚のPTに言ったら「だってAMPSとかで依頼来ることないじゃないですか」みたいに言われた。彼はパーキンソンの運動療法の認定(ちょっと名前でしちゃうと身ばれが怖いので笑)みたいなのを持っていて、その肩書きだけで、この間一人新規の利用者の依頼が来たらしい。




 運動療法はわかりやすく、作業は意味が分からない。が、今のところの地域でしょう。





 ていうか、同僚のPTがドヤ顔で偉そうにしていて、なんかイラッとしたけど、私も生活行為推したおかげで、新規の利用者の依頼が来そうなのになー。それは、MOHOやAMPSで生活行為を理解した土台があったからだとも思っているですが、いかんせんわかりにくい。運動療法みたいに目に見える部分じゃないし。











 だから、OTみんなで頑張って発信したいんです。作業療法士を作業療法士として使ってもらう。地域ではまだまだそこからスタートです。
 
 生活行為向上マネジメント、みんなで推していきましょう、という形でしめさせていただきます。

 明日は台風にめげず、訪問頑張ります。




はじめての訪問リハビリテーション




 お久しぶりです。サボり癖がついてしまいました…。言い訳としては、まあ、お盆で、遠くにある祖母の家に言っていたからです。田舎過ぎて、電波があやしい…家でも時折圏外になるレベルです。

 さて、今日は「結びつき」というところについて、私が考えたり、勉強したことについて書きたいと思います。

 うちの会社は初回面接はPTの上司が行っています。以前は、アライメントとか、筋力など身体機能の申し送りだけでした。最近は、私が、ずいぶん「活動と参加」についてうるさく言っているおかげ(迷惑?汗)で、生活目標などを聴いてきていくれるようになりました。

 しかし、生活目標をたて過ぎようとするあまり、「それの目標は生活と結びついているのか?」と疑問を持つようなものがありました。


 最近あったのは、認知症でしばらく、たばこは吸っていないけど、「喫煙所に行きたい」とその時の気分で言われたから、ひとまずそれを目標で、みたいな感じであったりというところでしょうか。で、私が初めて伺った際には話したことを忘れ、家族からは、たばこはもうしばらく前にやめたし、喫煙所にはいかないでもらいたいとのこと。

 


 目標にした、「作業」「活動」「参加」が生活にどのように結びついて行くか考える必要がありそうです。


☆作業への結び付きとは?☆


 結びつきとは、深いところで離れない、ということである。

 有名なところでチームホイトの話が上げられる。





 チーム・ホイト(Team Hoyt)は、さまざまなスポーツ大会に出場している父ディック・ホイトと息子リック・ホイトの親子のことである。

 1962年、アメリカでディック・ホイトとジュディホイトの夫婦間に脳性小児麻痺のリックが生まれた。医者から施設に預けることをすすめられたが断った。リックは首だけ動かせて、声を出せず、耳が聞こえているかわからなかった。夫妻は紙やすりをアルファベットの形に切り抜いて文字をリックに覚えさせた。

 リックが11歳の時に、首を動かすだけで文字を入力できる障害者用コンピューターでコミュニケーションができるようになり知性が上がっていった。14歳の時、同世代の子供に劣らない学力があると認められ一般の中学校に入学した。
その後、全身麻痺になった生徒のためのチャリティーマラソンにリックが出たいと言い出した。ディックは車椅子を押してリックと走ることを決意した。その大会で完走して、リックは「初めて障害者だと忘れられた」と言った。ディックとリックはトレーニングをするようになる。

 1984年のボストンマラソンで二人で出場して、2時間53分20秒で完走した。(この記録は一位に43分と迫る好記録)これによりチーム・ホイトは注目されるようになる。

 1989年には、トライアスロンの最高峰であるアイアンマン世界選手権に二人で出ることを認められた。この大会で14時間26分4秒で完走した。

 リックはボストン大学に入学して9年間勉強して学位を取得して優秀な成績で卒業した。コンピュータ研究室で障害者用の補助器具を開発している。


wikiより

 
 つまり、作業を遂行していなくても、作業に結びつことはできるし、そのことによって「健康」を作り出すことができるという考えだと私は解釈しています。逆に作業遂行をしていても、そこに意味や動機づけがないものは、作業との結びつきが薄いということになるでしょうか。




☆作業遂行と作業との結びつき☆


作業結び付き



 作業遂行、つまり活動などを実際に行っていても、作業との結びつきがどうなっているのかによって、生活へ反映されるかがきまるように感じます。

 上の図のように、料理に関しても、仕方なく作るのと、しっかりと意味があって作るのとは違います。最近の研究では、何をするか、よりも、どこでどのように、なぜやるのかを明確にしたほうが、身体機能も向上するみたいなのを読んだような…すみません忘れました。

 さらに、特筆すべきは、本人が作業遂行していなくても、結びつきがある、ということでしょうか。先ほどのチームホイトの例などでしょうか。これはトップダウンでないと、たどり着けないと思っています。


 
 「活動と参加」の目標をたてるのには、「結びつき」を大事にして、「心身機能」に偏りすぎない目標をたてることが大事だと感じた次第です。そして成果は「心身機能」の改善でなく、「健康」であること、なのでしょう。「健康」であることは、病気ではないとはまた別の話です。

 

 健康:身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。


 疾患でなく、健康についてみる。ことが大事になってくるような気がします。


























 サボりあけ、一発目のブログでした!明日からも、文章を上達させるため、頑張ります!



COPM―カナダ作業遂行測定




作業療法の視点 続 作業を通しての健康と公正




 本日つぶやいたように、ケアマネさんから、「生活行為向上」のためのアセスメントをしてほしいとの依頼をいただきました。

 地域での事例検討で、役割がなく、家での臥床時間が長いという事例に対して、

「日本作業療法協会は、生活行為向上マネジメントという、本人が目標を決め、生活を良くしてこうという取り組みをしていて、興味や関心などから、生活でしたいことを引き出したりするリハビリなども行っていますので、近くの作業療法士に、ぜひ相談していただきたい」

 というような、作業療法士の立場から意見を出したのがきっかけでした。

 しかし、後ろめたさもあります。だって、皆、生活行為向上マネジメント使えないどころか知らない作業療法士だらけじゃないですか。

 そもそも、私の会社の中には作業に基づいた実践をしたい人なんて、いないし、誰も、生活行為向上マネジメント、知らないし。





 結局今日みたいな、生活行為向上のアセスメントなんて依頼が来たら、上司も私にまわすしかない。「生活行為向上」なんて依頼はすごくうれしいけど、私の仕事が増えるだけの状況にとどめるんじゃなくて、これを機に、会社の作業療法士に少しぐらい生活行為向上マネジメントに興味を持ってほしいものです。

 

 でもなー。私も作業に基づいた実践より、正直モミモミしていた方が楽だしなんて邪念が沸いてきてしまう。良くない良くない。ていうかモミモミは、楽だし、喜ばれるし。喜ばれるから、下手したら、そこでやりがいとか感じちゃうのかもね。


 まずい、愚痴になってしまった。


☆なぜ、生活行為向上マネジメントができたか☆
 

 MTDLPはそもそも、国からの要望に応えるべくして、作業療法を「見える化」したものとのことです。つまり、作業療法士がどのようにリーズニングしているかを書式化しようということだと、私は、思っています。

 そして、作業療法の質を上げるためというのも大きいでしょうか?MTDLPをしっかり使うには作業療法の理論をちゃんと知っておく必要がありますので、使おう、と思ったら多くの作業療法士は勉強することになるでしょう。うん、いいこと。

 「なんかPTに教わりたくない」とか、「PTじゃないから」、とか色々言いながら自分は何にも勉強してない。「活動と参加」に対しても、勉強しない、勉強した内容といえばPTにちょっと教えてもらった「心身機能」のこと、なんて作業療法士が多すぎるような気がします。

 せっかくこうやって、何をみんなで推していけばいいか、方向性を出しているのにもったいない。


☆日本のOT頑張れるんじゃない?☆ 

 日本は今、パラダイムシフトの真っただ中なんですね。生活行為向上マネジメントによって新たなパラダイムができつつあります。

 生活行為向上マネジメントは、「活動と参加に焦点を当てるから、心身機能を捨てるのか」とか、「そもそも、使えない」なんて意見もありますが、統一されたツール…というよりは、作業療法のマインドを統一するには十分なインパクトがあると思います。

 普段は手技使おうが、ボバース、PNF、だろうがなんだろうが、MOHOですとか作業系だろうがなんだろうが、作業療法って何するのって聴かれたら「作業=生活行為を見てマネジメントしていきます」ってみんなで言えたら、全然ここから先の作業療法に不安なんて感じない。



 

 今日は生活行為向上マネジメントはいいものだと、ケアマネさんから依頼をいただいたおかげで、気づけました(笑




 では、また。


 

事例で学ぶ生活行為向上マネジメント




生活行為向上リハビリテーション実践マニュアル



 だいぶ久しぶりになってしまいました汗。忙しいときは色々物事が重なってしまいますね。まあ、結構飲んだくれていたりもしたのですが…ダメですね。

 今日は、AMPSについてちょっとだけ書こうかと思います。




 私のAMPSとの出会いは吉川ひろみ先生の「COPM・AMPSスターティングガイド」でした。

 COPMを取って、AMPSを使って観察評価をすれば、作業療法になる!ということが、わかりやすく、力強く書いてある、とても素敵な本です。

 この本を読んで、まずはCOPMを使うようになって、いずれAMPSも取りたいなーと漠然と思っていました。

 そして、去年の12月、広島で、講習を受け、無事、認定評価者になることが出来ました。



☆AMPSとは☆



 生活というのは作業の連続、作業は行為の連続です。日常生活の作業遂行の質をはかるために作られたのがAMPSです。



行為の連続




AMPSはもとは人間作業モデルの遂行能力の、運動技能、処理技能を測定するために作られた経緯がありますが、最近はOTIPMとのセットで出てきて、あまり人間作業モデルの影響は感じないような感じになっているような気がします。

 AMPSは作業遂行の質が、数値化できるというのが何より利点じゃないでしょうか。そして、評価項目はかなり多いですが五日間の講習を受けることで、かなり、観察ができるようになった実感があります。



☆講習会の雰囲気☆

 正直に行って五日間の講習ともなると、社会人ともなると、受けるのが難しい印象がありますよね。

 しかも五日間、ビデオを見てひたすら観察をしたり、様々な概念や定義を教わったりと、かなり濃い内容となっています。

 でも、五日間もいると色々なところから集まった、OTと仲良くなれたり、話したりできるのはとても楽しいです。

 私の場合はそもそも広島という土地がとても好きなこともあり夜はお好み焼きを食べたりと非常に充実していました。(宿題が出るのであまり呑めないですが…。)

 そしてどこの会場でも、やっているようですが、二日目に懇親会があるので、そこで色々な方と話すことができます。あまり、懇志会などは出ない私もこのとき限りは、とても楽しかったです。

 そして私は何より吉川ひろみ先生、直々にAMPSを教わることができたのはすごく良い経験になりました。







 AMPSの講習会は、ちょっとした旅だと思うとすごく楽しい経験になると思います。日中はAMPSについて学んで、宿題。なかなか五日間も休みをとれないですから仕事、臨床から離れて日々、自分が行っている、作業療法について、ちょっと客観的に考えてみる。

 私は、AMPS講習会は、とてもいい経験になったと思っています。





 肝心の、AMPSの細かい内容についてはまた…笑。





 今年の10月はESIを受けに広島に行こうかと思っています。





作業療法がわかるCOPM・AMPSスターティングガイド (For occupational therapists)




作業療法がわかる COPM・AMPS実践ガイド





 今日は久しぶりにちょっと人間作業モデルはシリーズ化を目指します笑。前回は文章がひどかったですが、今は、量を書いて練習したいので、時間があるときに直すしましょう…。

 前回はこちら。「 「人間作業モデル」~MOHOって何者?!~ 


 

 今回はMOHOの概要と、システムを臨床で気楽に考えるにはどうしたらいいか私なりにまとめてみます。

 いまだに私も良くわからない「ダイナミックに創発」みたいな、MOHOの謎の用語(笑)を私なりにまとめてみます。




☆システムって何?☆

 MOHOはシステム理論を採用しています。システムとは「多くの物事や一連の働きを秩序立てた全体的なまとまり。体系。もっと狭くは、組織や制度。」とのこと。ちょっと難しい。なんのこっちゃ。

ちょっと以前書いたICFのちゃんとした使い方を思い出してみます。(こちら「リハビリ職の皆さん、シフトチェンジした?できた?ICIDHからICF 」)




ICF MOHO





 個人因子や、環境因子、心身機能、活動、参加が相互に関係しあって健康状態をとらえるというような考え方でした。


 MOHOも同じような感じですMOHOの持つ要素が各々に影響し合って、CLの作業適応状態がどのようになっているのかということをとらえるような形にすると、わかりやすいんじゃないかと思います。

 つまりこんな感じ?

MOHO 全体像



 なんか神々しくなってしまった…笑。

 意志と習慣化と遂行能力と環境が相互に関係して、作業適応状態を左右する。ということでしょうか。だいぶざっくりですが。

 乱暴な言い方をすると、個人因子にかなりの比重を置いたICFという感じでしょうか。

 こんな説明じゃね、全然使いたくならないですね。でも、すごく良いところがあるんです。


☆MOHOのおすすめしたいところ☆


 それは、先ほど説明した、MOHOの要素「意志と習慣化と遂行能力と環境」に対して評価法があるところでしょうか!この評価法を使うことによって、私はかなり、新しい視点を手に入れることができたと思っています。

 特に作業に対する意志や、社会交流技能や、環境、こんなことまで評価できるのかと驚きました。

 枠組みにとらわれるのは良くないですが、枠組みを知っておくことはとても有益なことだと思います。





 次回は、要素について、少し細かく書いていければと思います。ではまた!




人間作業モデル 理論と応用



事例でわかる 人間作業モデル



 今日は軽い感じでいこうかと思います。ほんとは、MOHOについて書きたいと思っていたんですが、ちょっと眠くなってきたのでやめます笑。


 私は、疲れてると、記憶が軽く飛ぶくらいまで飲むのが好きなんですね。で、だいたい、なんか批判したくなるような同僚のコメントばっかり覚えているので、非常にたちが悪い。だから、同僚と過と飲んだ次の日の朝は、鬱っぽくなります。まさに、健康に良くない作業の代表格、飲酒。



 

 つい、この前の飲み会では、2年目と3年目のPTとのコメントが気になりました。ずっと覚えているくらいだから、まあ私としてはよっぽど気になっているんでしょう。




「とりあえず、利用者さんが喜んでくれれば、いいじゃないですか。訪問はなかなか、結果でないですし。」

私「それも大事だけど、たまには自分なりにスケールとかも使って評価して、結果が出てるか確かめるのも大事だよね。」

「それは自分の方を向いてるやり方ですよね。」


 そうかー。そうなのか。



 まず、この二人のPTは訪問ネイティブ(?)なんですね。新卒で、訪問に来ました。だから価値観の違いが生まれたのでしょうか?
 訪問リハビリで、誰にフィードバックをもらうでもなく、一人で利用者さんの家に訪問し、評価もしない。そして、今の現状に疑問も持たず喜んでくれてるから、大丈夫。






 
 この、二人は今の現状でひたすら満足し続けるんだろうかと思うと、一緒に働きたくないなーと思ってしまいました。








 私は人より、たくさんの失敗をして、何とか、失敗を活かして、次につなげたいと思って、勉強してきました。







 評価スケールや評価法には数字にする以外にも先人たちの知恵が詰まっていると思っています。作業に焦点をあてたいと思って「COPM」。作業遂行の視点を標準化したい「AMPS」。作業の評価の幅を広げてくれた「MOHO」の評価の数々。素晴らしいと思います。PT・ST評価でも同じことが言えると思います。









 しかし、私も勉強なんかしないで、喜んでもらえればいいという、ピュアな視点だけでリハビリができたらどれだけ、幸せに仕事ができたのだろうと考えてしまいました。









 私の事業所では症例・事例検討がありません。去年は少しだけありましたが、散々でした。で、少しして、事例検討が自然消滅しました。たぶん、この二人は誰に何を言われるでもなく、淡々と日々を過ごして行くのかもしれません。

 正直に言うと、それはすごいうらやましい気すらしてしまいます。









 





 私も何のために、何をするのか、もう一度、考える必要がありそうです。










余白が多い記事になってしまった…笑。月曜日からこんなネガティブなこと書いてる場合じゃないなー。ちゃんと勉強記事もかかねば!!明日は余裕があったらMOHOを少しまとめたい!!





寝る!ではまた。





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