主に作業療法、時折音楽のことを、酒を飲みながら書いていきます。


 お久しぶりです。もう四月も終わりですねー。ブログを書く時間もなかなかなかったです。

 とか言いながら昨日は下北沢に2時間ちょっとだけ滞在するという弾丸ツアーを強行するなど…元気ではあります。限定のレコード買えてよかったー。



 ちょっと時間は経ってしまいましたが、認知症のケアに関するユマニチュードや、主に統合失調症に関する介入方法であるオープンダイアローグの本を読んでいました。

 発症すればほぼ一生付き合うことになる病気というのは結構あるように感じます。特に認知症に関しては、どのようにリハビリテーションを提供するかというのは、時折課題にあがるように思います。



 以前、認知症の方のリハビリについて同僚から「ケアだけになってしまう」といった話をされたことがあります。

 患者の主観的な思い、願い、価値観が客観的な状況に沿うように変わることを「ケア」というそうです。英語の辞書では、気にかかること、心配、気がかり、不安、心配事、心配の種、気にかけること、みたいな感じですね。

 で、直接的には言っていないですが、同僚としてはケアじゃなく、医療職、リハビリ職ならキュアを目指さなければいけないといった意識があるのかなぁと思いました。

 CLの客観的な変化を変化させる「キュア(治療)」と呼びます。英語の辞書には治す、いやす、治療する、矯正する、直す、取り除く、みたいな感じですね。

 つまり客観的な変化をもたらさなければいけないという気持ちがどこかにはあるのでしょう。

 でも、そうすると、基本的に治らない、もしくは状態が落ちていくような病気の方に関しては、介入する余地はないということになってしまいますよね。

 私もあまりいい言葉が思い浮かばず、どうしたものかと思っていました。




 そうすると先ほどのオープンダイアローグの本の中に「ケアに限りなく近いキュア」と考えると良いのではないかというような言葉が書いてありなるほどと思いました。

 オープンダイアローグは、統合失調症にかかり危機的な状況を迎えている家に医療チームが訪問し、対象者、家族などの身内などと、開かれた対話を行っていきます。

 方法に関しては、詳しく書かれた論文がフリーアクセスできます。こちら

 基本的にはオープンダイアローグの中では、症状を軽減するといったことは、中心に置かれず、むしろ副産物どころか対話の中での廃棄物であるとまで言われることもあるようです。

 「言語化されにくい経験を言語化する」「語られてこなかったことを語らしめる」ということが重要であるようです。

 そして、何より「本人のいないところで本人のことを決めない」というしっかりとした透明性があることも記載されています。私は当たり前のことですが、病気にかかると本人のことを他人が決めることが多い現実があるので、とても感銘を受けました。


 ユマニチュードも、本当にあたり前のことを当たり前にというのが大前提な気がします。認知症の方に無言で接しない、目をみるとか。

 しかし、そのあたりが丁寧に言語化されているので、とてもためになりました。特に、言葉を発することができない方に関しては、実況中継をするように介助する、なんていうのはとても印象にのこりました。





 おっと、まとまらなくなってきましたね…。

 私が思うのは、キュアを念頭に置きすぎて当たり前のことを見逃していないかということ、そして、自分の中で治療するということに頭が行き過ぎて、当たり前のことが行えていなくなっていないかということに気負つけなければいけないなと感じました。

 クライエントが「患者の主観的な思い、願い、価値観が客観的な状況に沿うように変わる(ケア)」ば「キュア」はあとからついてくることも多々あると思います。

 本人のいないところで本人のことを決めないといった当たり前の部分や、接し方を見直したいなと思いました。



 ついつい、年度末、始の退職や人事異動などで、本人のいないところで本人のこと勝手に決めたり、セラピスト本位で進めようとすることが目立っていたので、そのあたりでも色々と考えさせられることがありました。







 だめだーさすがにかなり書いてないとなかなか文章も思いつかないうえに、子供も途中で泣くしで集中できないw

 少しずつ再開してきますので、温かい目で見守ってくださいw

 ではまた!
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 ブログはずいぶんと時間があいてしまいました…。ばたばたとした日々を過ごしております。

 怒涛の年度末を終え、新年度になったため、少し気持ちを引き締めていきたいと思います。


 そういえば、全国学会、採択いただきました。学会発表は、今までしたことがないのですがしてみたいという思いはありました。

 最初は県学会や臨床OT学会にしたいと思っていたのですが、家庭の関係でちょっと難しそうでして…汗。

 でも、家のことを理由に、そんなことを言いグダグダしているのも嫌だったので、思い切ってちょうどタイミングが良く、また、関東開催なので、思い切って全国学会から、応募してしまいました。

 ちょっとビビっていますが頑張ります。



 さて、今日は見える化について少し思うところがあったので書こうかと思います。


 

 MTDLPにもあるように作業療法の「見える化」がかなり、重要視されているように思います。私も今年の目標に挙げています。

 ツイッターでも、視点は違うんだけれども、結局は見た目は理学療法と同じになってしまうなど、そういった話が多いように巻維持ています。

 だからこそ、視点を見える化しておく、ということが大切なのかなと考えています。

 私たちが直接かかわれる時間は40分とかですが、直接関わる時間以外にも、情報提供や、様々な調整、環境設定などいろいろな役割を担うことが多いと思います。直接かかわる時間は40分徒手的に行っていたとしても、作業療法の視点を活かす機会もあるのではないかと思います。




 でも、どのように示していけばいいのか、これは難しいなぁと思います。

 

 

 
 MTDLPはいわゆるクライエントの意味のある作業などに焦点を当てて、マネジメントしていくツールだと思います。評価は、聞き取りシートとBI、FIM等のADL・IADLの評価でしょうか。

 しかし、使っていると、これは私の技術不足かもしれませんが、まず意味のある作業が聞き取れないということがあります。そして、聞き取れても数値化できない。これも時折歩きがしまう。

 今何をすればいいのかわからないという状態や、現状で満足だから特に何もない、ということも結構あると思います。

 そうすると、MTDLPやCOPMといった評価は一気に使いにくくなると思います。
 





  最近思うのですが、これは仕方がないことだと思うときがあります。むしろ一緒に探していく、自然な流れの中で色んな経験をして、自分らしくなっていくということを重視する必要があるなぁと感じています。

 CL中心というとCLが述べた作業に焦点を当てて、そこからスタートしなければいけないという考えが自分の中にあったような気がします。




 最近ロジャーズの生い立ちを読んだりしていたのですが、彼の家は厳格なキリスト教徒で「抑圧的」な環境で育ったようです。自分らしくいられなかったのでしょう。このことが、「非指示的」であったり、「無条件の肯定感」や「共感」を大事にしていた理由にも繋がるようです。

 自然な流れのなかで、周囲の共感を得て自分らしく生きられるようになること、を考えたときに、COPMやMTDLPなども人によってはとても使いやすいのですが、もっと自然な流れを評価して形にのこせればいいなーとなんとなく感じました。



 

 今、考えているのは、もう少しMOHOSTやCAODなど包括的な評価を使って自然な流れを数値かできないか、FIMなどはどうしてもあがらないときもあるので、質的な部分で伝える方法を模索していければなーと思います。

 あとは、今はCL中心の実践は課題指向型のような形になってしまっているので、もう少しCL中心を深めてみて自然な流れで行うことができないか模索したいなーという感じです。

 



 なんか、まとまりないですが、久しぶりなのでお許しください笑。

 今日はカール・ロジャーズ入門 自分が自分になるということを参考にしました!

 ブログ書いてる間に、オムツ交換とミルクをあげたりしておりました…笑。

 ではまた!