死の瞬間~懐かしの授業を思い出す。~

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 NHKで臨床宗教師なるものが取り上げられていた。

 「臨床宗教師」とは、公共空間で心のケアを行なうことができる宗教者を意味するものとして、英語の「チャプレンchaplain」の訳語として故岡部健(たけし)医師が考案した名称です。布教や伝道を行うのではなく、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦難や悲嘆を抱える方々に寄り添います。仏教、キリスト教、神道など、さまざまな信仰を持つ宗教者が協力しています。

 とのこと。

 末期のがん患者に対する、スピリチュアルペインを軽減するというような、内容でした。






 そういえば、思い出した、大学一年生のころに超大御所の先生に褒めていただいた、レポートがあった。

 私は、一年生の頃はまともに勉強していたような気がするが、二年生になるころには、悪い連中とつるむようになり、ダークサイドに落ちて勉強をまったくしなかった。ほめられた経験がほとんどないので、よく覚えている。

 キューブラーロス、「死ぬ瞬間」を読んで障害受容に考えるといったような内容だったような気がする。

 





 死の受容の段階として



 「否認」→「怒り」→「取り引き」→「抑うつ」→「受容」



 の五段階をキューブラー・ロスはあげている。

 「否認」では、死ぬという事実を認められず、「怒り」ではなんで私が死ななきゃいけないのだいう感情が起こる。「取り引き」では、神にお祈りするから何とか長く生きさせてほしい、これまでの過ちを反省するから、少しだけ長くいきたいなど、何かと取り引きをして、長くいきたいという気持ちになる。「抑うつ」ではやはり仕方ない、神に頼んでももう、長くは生きられない、と落ち込んだ気分になり、最終的に死を「受容」する。といったような流れである。

 

 これを読んだ当時は、病院の中に教会があったりする、外国との文化との違いに、「日本人が読んで役に立つのか?」とも思ったし、「無宗教な日本人はどうするんだろう?」なって思っていた。

 宗教は「取り引き」と「受容」の段階において、とても重要な役割をするように思っています。神にもすがってみたりもできますし、死後のために祈ることもできます。実際この本の中にはかなり宗教について触れられることが多かったように思います。(ずいぶん昔に読んだので嘘だったらすみません。

 実際、訪問に出て、末期がんの利用者さんに入ることもありますが、なんとなく、「怒り」や「抑うつ」の状態のままなくなる方が多いのは、ひょっとしたら宗教なんかも関係しているんじゃないかなーなんて思ったこともあります。



 で、今日のNHKで臨床宗教師なるものが末期がんのケアで、取り上げられていたので、なんとなく、腑に落ちたといいますか。うん。

 名前だけ聞くと、信仰することを奨めたりするんじゃないかと思ったんですが、各々の死生観や、価値観をしっかり解釈したうえで個別ケアをしていくといったような内容でした。

 宗教というのは、その方の死生観を作ったり、価値観を作るものでもあると思います。信仰をしていなくても、死生観や価値観はあると思うので、抽象的になっている部分を、話したりすることによって、具体的に引き出したりすることが、末期の利用者さんへのケアになるかなと思いました。

 無宗教の日本で、死の瞬間の内容を活かしやすくなるんじゃないかと思える内容でした。





 そして、昔書いたレポートをそのまま張ります(笑)。今見ればなんかよくわからないこと書いてたような気もしますが、私自身も、ブログに張っておいて、暇なとき見直せたらいいかなと思ったので。

















 Ⅰ、はじめに
 私は、推薦されている本の一つ、「五体不満足」を読んだことがあったので、もう片方の推薦図書である、キューブラーロス著の「死ぬ瞬間」を読むことにした。そして「死の受容」とはなにかということと、「障害の受容」との違いを考察し、最後に感想を述べたいと思う。

Ⅱ、「死の受容」について
「死ぬ瞬間」では末期患者にインタビューをするという形をとってどのような課程によって人々は死を受け入れるのかを見ていく。まずは、このインタビューを通して、作者が発見したパターンについて述べようと思う。
まず、死に関わる病気にかかったとき、患者は「自分がかかるわけがない」と思い、病気にかかったこと自体を否定する。これを「否認」という。そして、病気を受け入れたときに、その次の過程として「怒り」がくる。これは、「なぜ、自分でなければいけなかったのか?」という考えからくるものである。そしてまわりの自分以外の人を羨み、不満をつのらせるのである。それと同時に病気を受け入れた患者は、「新薬ができて、もしかしたら助かるかもしれない」といった、「希望」を持つ。希望は死ぬ直前まで持ち続ける。だんだんと「怒り」が静まってきたとき、または、「怒り」同時に、とても短い期間であるが、神などにたいして、約束を結び、「取り引き」をし、この悲しいが逃げられない事実からどうにかして逃げることが出来ないかと考える。しかし、徐々に自分は助かることはできないとわかってくる。すると次の「抑鬱」にはいる。この状態は「自分の過去からの喪失」「さしせまった(これからおこる)喪失」について思い悩むことで起きる。そして全てを乗り越えると自分の死と静かに見詰めあうことのできる「受容」にたどりつく。これが、作者が見つけだしたパターンである。まとめてみると、「否認」→「怒り」→「取り引き」→「抑うつ」→「受容」という流れである。
しかし、これはあくまでだいたいのパターンであり患者の、人生、家族、性格、宗教、病院の対応、などによっても変わる。患者が受容できても、家族が患者の死を受容できない、といったことや、病院内の対応が悪く受容できないといったこともあるようだ。患者の死の受容には患者のまわりの人々も一緒に死について考えるということが大事である。先に述べた患者がとる行動にたいして家族、病院スタッフが暖かい対応をすることも大事だ。
死を受容するということは末期患者にとって一番大きな壁であり、とても難しいことである。実際に最後まで受容することができない人も多いようだ。しかし、なにがあっても最後まで患者を一人にしないで皆で死を受け入れていこうという姿勢が大事だと思う。

Ⅲ、「死の受容」と「障害の受容」比較
 これは、自分なりの解釈で述べようと思う。今回は自分なりに考えた「障害の受容」について、先に述べた、「死の受容」と比べていきたいと思う。
 「死の受容」は自分の死に対する価値観を変えていくという「死」だけに対したもののような感じがするが、「障害の受容」というのはもっと広く「世の中」に対しての価値観をかえていくことのように感じる。死と障害では、未来があるかないかとういう大きな違いがある。そこの違いがもっとも大きな違いだと思う。この違いによって「障害」について考えるだけでなく「世の中」に対して広く考えていく必要があるのでないかと考えた。やはり自分の体が少し変わることで、いままで過ごしてきた世界と少しは変化があり、この今までの世界の価値観を変えることが受容でないかと考えた。
 私は、最終的な価値観の違いにまずは注目してみたが、「障害」「死」とも人生の危機と考えたとき「障害の受容」も「死の受容」似たような過程があるのではないかと思い、障害を持った方が、どのように受容したのかをつづったものをいくつか調べてみた。すると、「否認」や「怒り」、「抑鬱」など、死の受容でてきたパターンがあった。しかし私が気になったのは、「抑鬱」と「受容」の前に自分たちが、これから生活するにあったって、どのように困難をのり越えるかということを解決する、「努力」があるように感じる、そしてこれからの生活の不安がとりのぞけたときに、初めて受容できるのでないかと感じた。これはやはり未来があるかないかということも関係してくる大きな違いだろう。
 ただ、やはり両方共に言えることは周りの人々の対応によって、受容できるかできないかに大きく影響するところである。本人だけの問題と考えないで、まわりの人と一丸となって「死」や「障害」に立ち向かう姿勢が大事だと思う。

Ⅳ、感想
 今回は死を受容する過程というとても難しいことを取り上げた。私は最初、レポートの題名である、「患者・障害について理解する」ということと、「死の受容」ということは少し離れているのではないかと考えていた。しかし「死ぬ瞬間」を読み終えるとそんな考えはすっかり無くなっていた。死を受容する「過程」は私が今回、この本を読んで得た一番大きなものだと思う。この過程を知ることが大事だと思ったのは、「怒り」「否認」などを知らなかった場合、私たちはただ患者のわがままなのではないか、精神病なのではということを思ってしまうといったことや、「抑鬱」の患者にはあまり話さない方が良いなどの誤解もうまれてしまう。このように患者のことをよりよく理解してあげるためには、その患者に関わる人全てが、死の受容の過程について知らないと、患者との擦れ違いが生じてしまうと思った。
 この「死ぬ瞬間」という本では、たくさんのインタビューが載っていて、とても「死」について考えさせられた。私はこれを機にとても死について考えることができてよかったと思う。キューブラーロスも述べているように、私たちはいつ現れるかわからない「死」という恐怖にそなえ、「死」とはなにかを考えたほうがいいと思った。これによって、もし末期患者と関わることになっても心の準備ができとてもコミュニケーションが取りやすくなると思う。また「障害」についても日頃考えると良いと思う。

Ⅴ、文献
○著:E・キューブラーロス 訳:川口 正吉 [死ぬ瞬間~死にゆく人々との対話~] 1997 読売新聞社






 


 大学一年生の頃の私に負けないよう、日々色々考えたいとおもいます。


 

 ではまた!





死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)





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